2019年07月03日

山内若菜 ロシア ハバロフスク–コムソモリスク 6.18-7.7

7.1.月曜日。本日はコムソモリスクのギャラリーメタモルフォーゼの私の個展のオープニングでした。地元のたくさんの方にお集まりいただきました。そしてワークショップでは大人や子ども、みんなで絵を描きました。最初にオーリャさんに経緯を分かりやすく説明していただいた後、私は二枚の絵を、海と大地の絵を説明しました。「しみじみした。」「感動した。心が強く揺さぶられた。」「こんな風に描きたい、僕は自分の絵をやぶいてしまう。でもこれからは描けそうな気がする。」そうあつく語る若い青年もいました。ロシアの大地に立つ少女という意味もあると説明しましたが、「まるでイコン」「顔がとくにイコン」という感想をたくさんいただきました。

そして、大人を含めたワークショップをしました。今回は下地を作って和紙を貼る用意をあらかじめ準備して乾かせる時間があったので、好きな箇所に白い色や和紙のある上に何が見えるか見ながら描く、としました。テーマは軸を友好 とし、御礼のあと「これからも宮本先生の思いを引き継ぎ、交流を続けていく努力をしてゆきたいです。市民の交流が大事だと思い、関係をつなげたいです。理解しあい、発見し合う関係を大切にしたいと思います。これから宮本先生と、宮本の絵と一緒にみんなで絵を描きたいです。」とあいさつしました。絵は、「線路 続く道」「冬眠」「ツビトーク  花」「朝陽」としました。

「あの場所には宮本がいた」帰りの車の中でオーリャさんに言ってもらえました。

7月2日火曜日。

コムソモリスクに建てられた「第二次世界大戦後、極東シベリア地域に抑留され、生還できなかった日本人捕虜の霊を悼みつつ、平和を祈願する碑」に手を合わせました。これを建立した一人でもある宮本惇氏の作品がコムソモリスク美術館には五百点あり一部を見せてもらいました。また、ナナイのコーナーが新しく出来ていました。 
午後は砂絵を体験し、この機械の作者のターニャさんの手作りの素晴らしさに感動しました。ワークショップでこれから砂絵が出来たらと思いながら、機材がいる事を生にしてしまえたらと考えていました。日本製品が活躍していました。
夜は写真家 バロージヤの家へ。古い家は、バロージヤの案内のおかげで見ることが出来ており、明日はラーゲリを見に行く事が出来ます。お礼に奥さんと二人の絵を描いて差し上げました。

7.3.水曜日。

コムソモリスク、ピュワ二へ行き、日本人捕虜の方が建て働いていたレンガ工場跡地や、アムール川付近の給水工場や、日本人が建てた美しい駅のトイレ部分や美しい駅の壁、日本人が使っていた病院跡地をみせてもらえました。ロシア人と日本人の混ぜあわせた墓に手を合わせました。コムソモリスクにはたくさんのラーゲリがありましたが今はもう建物はなくなっているとの話でしたが、
かけらでも木があれば見たいと言って草むらに入りましたが、ゴミがあるだけで何もありませんでした。70年も木はもたない。簡易的な木の建物だったとのお話でした。写真家バロージャさんによると1960年にはほとんどなかったとの事です。私が見たラーゲリは実は捕虜の方が建てた建物であった可能性があり、すでにラーゲリはどこも跡形もなくなっているとのお話でした。明日も違うコムソモリスクのラーゲリを見に行かせて欲しい旨伝えました。ワークショップでロシアの子どもが描いた日本人の働く姿に描きたしました。5F53BE73-156E-4EB4-A118-9AB72BE1E9DB.jpeg7C9141BE-FEC4-4160-90DD-B3C874D6DA38.jpeg0C0A3E03-91D0-4B1D-AB4B-85B5F9C3A311.jpeg5458D1D5-70DE-4334-B25A-0C0E90059CF0.jpeg4C470594-DB6B-479A-876E-BFCF2CB2808F.jpegE1295271-FA8A-4A81-9806-57632A4BEECA.jpegD2F18630-90C4-46A2-A5C8-E7E9CB3E7BB9.jpeg
posted by 若菜 at 22:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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