朝、シベリアに抑留にされ、ハバロフスクに永住し、みんなに愛された田中猛さんの言葉を思いだしていました。「何を言ったかではない。何をしたかだ」あれから、毎年節目の日には、考えるようになりました。
2025年3月11日
cafe &galleryのんのさんで、トークをさせて頂きました。言語化は苦手ですが、ご紹介致します。
私は氷河期世代の元社畜です。さんざん働いて使い捨てにされる自分と福島の殺処分される動物たちを重ねて描いたのが始まりの絵描きです。命とは何なのか生きるってどういうことなんだろうと言う疑問から絵描きと言う道を選びました。
俺たちの伝承館で、7メートル× 5メートルの巨大な天井側を、みんなと一緒に、釣り上げることが成功したのが、2023年6月でした。みんなの絵になった瞬間が、今まで生きてきて一番幸せな瞬間でした。
私は2011年から、福島の原発事故で死んでいく牛や馬を、暗いモノクロで描き続けてきました。でもそんな暗い絵であっても、その絵には希望があると思います。なぜなら、トークを伴い、あった事をつたえられるから。今、そこにいた自分を想像してみようと、脳内シミュレーションをして、大切な人を3.11すぐ後の福島の牧場に立たせてもらいます。動物たちは死んでゆき、自分も被曝します。目の前の動物たちを見てみましょう。作品「死産」もあります。こんなふうに死んだのか、死んだ親のおっぱいを吸いながら、仔馬もすぐ死んだのか、白斑の牛も、喉頭がんになった馬もいたのかと、広島の事は勉強してるのに、福島の事は勉強してなかった。恥ずかしい。何かできないかと子どもたちは心を寄せてくれるからです。そういうふうに伝達としても絵はたいせつですが、むしろ大騒ぎ出来る、それぞれの見え方、発見を伴い見てもらえる。一気に400名ほどの次世代に見てもらえて、交流できる。
広島の絵 被爆樹木 旧日銀
新潟水俣病の絵
沖縄与那国島の絵
第五福竜丸展示館
サイトスペシフィックの話
本当は私は絵を見てもらいたいそう思う気持ちもあるけれど、今回、金屏風をニューヨークに持っていってくださり、若い海外の方も、第五福竜丸展示館が東京にあること、ビキニ水爆で被災した船は何百隻にものぼったことなど、知られているようで知られていなかったことが世界の人に伝わる事にもなる。知らせてくれてありがとうと若い人が喜んでくれた。海外の人も見てくれた。それを描いたと言う事自体がとても大切な行為なんだと、かけがえのない時を過ごしていると思いました。
原発を止めるには、戦争を止めるには、世論が変わることだと思います。次世代の一人ひとりの意識を今の政治の流れのままにせず、本当の平和を求める、核はダメ、核兵器も原発もダメなんだ、怖いんだと、そう感じとれる優しい感性を自らつかみとれるような絵画展示講演に、今後も力を入れてゆきたいと思います。心ある絵画と共に伝える。真剣に信じている思いを伝えてゆく。そこに絵がある、何かできる。
私は自分の遺伝子は残したくないと思っている、いやむしろできない立場の持たざる者です。ステイタスや権力などない、絵以外、何もない。そんな私は、きりひらく未来、希望がみたいと、もがき描いています。少しでも興味を持って頂いた方に、絵を見て欲しいと願っています。今は、金屏風の光を、そして小さな絵の叫びをきいて欲しい、目の前に立って欲しい、そんな思いです。
また、これからたくさん絵を発表します。春、改めて気持ちを入れ、頑張りたいです。
(近日スケジュール 3月12.15.16日のんの在廊、3月28日から4月3日まで福島原発事故14年展・神奈川県民センター (29.30土日は在廊)、22日藤沢母親大会、4月2日は片瀬山ギャラリーエスポアール、5日は相模原です。)