本日は共同通信さんの取材を受けました。改めて広島展で変わったこと気づいたこと。そういうことを話す中で、自分の考えがまとまってきました。
芽生えたもの。
広島の皆さんは、そういう自分自身のモノ化扱い、その心や身体を傷ついたものとして絆創膏のように張り包帯だらけのその裏を見せつつの絵を、切羽詰まった美しさ、そうでないとやりきれないよという、そこに説得力があると、共鳴してくれていた事を実感しました。私が社畜生活が15年、派遣が4年、ずっと低賃金で働き続けていたということ、その労働状況のひどさから、福島原発で汚染されたから殺された動物について、でも物じゃないんだと叫ぶ牧場主に共鳴したこと。私自身も、物じゃないんだということ。サービス残業ができないと言われたら、じゃあ代わりはいくらでもいるから、クビ、いらないよと言われてしまう生活も。
弱さなんて隠したいと思っていたけれど、自分の弱さを赤裸々に出している自分の表現を、その低賃金労働代表のような私の絵を、優しい眼差しで応援してくれる方が、広島にはたくさんいたこと。むしろそこに、現代の生々しさを見つけ、共鳴してくれたように思いました。
例えば私が大男で、権力者であったなら。例えば政治家であり、美大の教授など、ステイタスがあったなら。この絵は違うように見えたかもしれない。何もないような私だから、マッチしてるんだなぁって。元社畜ちんくしゃで良かったと、そんな私だから描けた絵なんだと、感謝で涙溢れる事が出来た展示会場でした。トラウマこそテーマ、中学生に言っていたのに、理解してなかった私。旧日銀さんにもあったかい眼差しで、会場はいつも極寒でしたが心はあったか。
あぁそういうことなんだなぁと。
福島で殺された、死産の動物は私自身である事を言葉で言ってきたけれど、改めて実感しました。
絵は私であり、私は絵である。なんてナチュラルな関係でしょうか。
広島と福島。ヒロシマとフクシマで繋げてしまうのは違うように思うけれど、絵はグラデーションみたいに共通性を曝け出して見つけてゆけるような、広島に住む方の多くが、死産のこと、絵肌から命の発見に涙し、天井画も観に行くと言ってくれました。
絵描きは絵で世界を変えることは出来ない。
そうよく言われる。そんな視線で神聖なアートを汚すなと、これもよく言われる。
でも今、ガザで虐殺が起きていて、ウクライナでも子どもがたくさん殺されているのに、戦争を止められない、これは、まさに命が物みたいにされている世界全体を露呈していると思う。私は看護婦さんやお医者さんみたいに、傷ついた人を助けたり直接的には何も出来ないけれど、原爆が落とされた、けれども残った、多くの方が亡くなったけど多くの方を助けた被爆建物で、どうにかして何かしたいとあがき、もがき、今だからこそ、命がたいせつと大騒ぎしたい。被爆樹木や動物に、微生物への畏怖から、こんな凄い命こそが希望だと、こんな世界変えたい、殺すなと口から出ちゃいそうでしたが、それを言葉にはせず、思いを込めて発表したつもりです。ただ、それだけのために描いたかというと、そうではない部分もあり、誤解をうむので難しいのですが・・
4分割になっている大作を、いつもは壁に張り付けるのに今回は養生テープで繫いでつり下げるのが大変だったのですが、おかげさまで、裏まで(養生テープまで)見せてしまえました。その生々しさは、かつてないほどでした。そこが大好きな方が思いのほか多かったのは、傷をさらけ出すこと、かくさない事、そうせざるをえない会場だったからなのですが、その全てが良かったのだと思いました。
