2017年08月18日

ロシア絵で交流記 極東美術館山内若菜展

IMG_2322.JPGIMG_2460.JPGIMG_2436.JPGIMG_2456.JPGIMG_2275.JPGIMG_2126.JPGIMG_1334.JPGIMG_1814.JPGIMG_1721.JPGIMG_2011.JPGIMG_2525.JPGIMG_2524.JPGIMG_2526-66e93.JPGIMG_2564.JPGIMG_2573.JPGIMG_2567.JPGIMG_2568.JPGIMG_2566.JPGIMG_2572.JPGIMG_2569.JPGIMG_2570.JPGIMG_1326.JPGIMG_1715.JPGIMG_1781.PNGIMG_1912.JPG8月9日、極東美術館のオープニング

沢山の方々にロシアの極東美術館会場に集まっていただき、担当の学芸員、リューダさんとのオープニングレセプションで始まりました。
ナナイの民族の作家、バラノワアナさんや、ロシアの若い美大生や、有名な画家さん方々や、日本人の留学生や、ハバロフスク政府の方や、チェルノブイリの事故を知らない若い方や、コムソモリスクナアムーレの知り合い…
リューダさんさんは、「絵はゲルニカもある。その地を知らせ、未来へつなぐことが大切。福島のこと、忘れてはいけない事を未来につなげる事が大切。極東美術館みんなが、希望が垣間見えるこの展示を、とても大切な展示、大きな支持をすると言ってくれました。
リユーダさんもサッポロスカヤバレンチナ館長も、今、必要な展示だと言ってくれました。
質問も沢山あり、〔みんなで描こう友好の窓〕をテーマに描く事を、紙を用意し提案しました。オープニングパフォーマンスの絵画は、画家や美大生や小学生もみんなで共同制作〔みんなで描こう友好の窓〕でした。友好のうちわを差し上げた時、テーマにしたいと伝え、そう決まりました。
友好の窓、のテーマは関係なく窓を描く方はいなくて、花を描く画家、顔や手を使ってスタンプする美大生や、子どもと無心に描いていました。
最後に一枚の窓の形が開くようなイメージをまわりに、私は描きました。
片付けすることなく飽きちゃうとぱあっとどこかへ行く気ままなみんなの様子に呆気にとられつつ、まだ一人最後まで描く私でした。

夜すでにロシアのテレビでハバロフスクでの牧場展が紹介され、会場には沢山の方々で賑わってくれていました。テレビはすごい影響力です。彼女が日本の画家の展示がみたいと言うから、フットボール〔こちらではサッカー〕に誘いたいと思っていたのに諦めた。来てよかったと言ってくれた彼氏や、ある学生は、〔タンポポみたいな展示ですね。コンクリ−トから出た花のようです。希望を感じる〕と。ある画家は、〔この美術館の企画で、感覚ではじめて、感じるという事が出来た。〕と。なんだか沢山の若い子がイキイキと意見をくれました。なにかを感じていたような感じでした。そういえば館長は最初言いました。〔今の若い画家、女の画家はとくに今の社会的なつながり、テーマに興味がない。刺激が与えて欲しい〕と。

8月9日夜、ミーシャのアトリエへ訪問、一緒に版画や絵で交流

極東美術館で同じく展示する予定だという版画家、同じ年のミーシャのアトリエに訪問、牧場展を見て大好きだと言ってくれたミーシャに出会いました。
ミーシャのアトリエはハバロフスクの芸術家の集い場みたい。たくさん若い芸術家がいました。
最初、アナスタシアの絵日誌に絵を二人で描きあい、その後、版画を一緒に制作。〔友情 ルボフ〕愛に近い友情と二人で話し合いました。それをミーシャが刷ります。銅版画の彫らない即興タイプでした。共同制作に夢中。アナスタシアが夜遅く美容師だから先に帰る時、抱き合い、ルボフ〜と言うと笑うので言い合いました。
版画家の彼の作品を見たとたん好きになり、2時間以上二人で画材や描き合う事に夢中になりました。ロシアでは版画は売れない。生活はできないからポスターデザインのパソコン業で働き、奥さんの父の銅版画機械を継ぎましたが食べていけない、ソ連の頃は作家のアトリエはただ無料だったと。でも言語統制は楽になった?と聞くと〔そうだけど、お金は辛いよ〕境遇が似ているのに、絵について話したり絵の描き方、考えややってみるやり方が違う面白さがありました。ロシアでは水彩色鉛筆が画材屋でガラス張りの中に入っていて高価。手に入らないみたいで、彼にあげました。彼は水に直接つけて使いました!刺激を受け、私も真似しました。
陶磁器の作家の女性は作品をプレゼントしてくれました。ミーシャは私を描いた作品の絵とTシャツをパダーラクにくれました。私は絵と水彩色鉛筆や和紙をプレゼント。
大きな版画をやってみたい!なんて思いました。黒い色もとても深く、濃い。魅せられました。
〔本日、ロシアと日本の長い美術の歴史を身で感じました。ドキドキ刺激的、また一緒に描きあいましょう〕と伝えると〔私は広告の仕事で今回忙しすぎ、社会は厳しい。が二人の絵は似てる、絵、楽しかった〕と返してくれ、友情ハグをしました。

8月10日、シャン アルヒオノギアとマクシム アナニエムのアトリエへ訪問、立体作品を作る

ロシアの南の生まれ、シャン アルヒオノギアさんのハバロフスク美術館近くのアトリエで作品を拝見しました。そして陶磁器をつくりました。私の展示をみてくれ、感動したと話してくれました。教えてもらって、壺じやなくてこれをつくりたいとラフを描き、つくった牛の陶磁器でした。別れの時にまたアトやリエに来て欲しい旨言われ、まだまだつくりたい気持ちでした。
そして、ハバロフスクの郊外、陶磁器や石などで動物の作品をつくるマクシム アナニエムのアトリエへ。一階は工場的な工房、二階にアトリエへ。マクシムは日本が大好き。浮世絵など日本的なものがたくさんありました。彼の絵も浮世絵を意識して描きました。
初めの日から、写真は全てコムソモリスクのオルガさんが、日本に紹介して欲しいと沢山撮ってくれています。

8月11日昼、日本人の墓地へお墓参り

ハバロフスク地方で抑留され、日本に帰らず(ロシアのみんなは帰れずと言わなかった)定住した日本人の墓地へお墓参りに行きました。たくさんいました。囲われているその中は全て日本人のお墓でした。ロシアでは、〇〇家の墓でなく、個人のお墓になります。中央部に記念碑が並んでいました。何年か前に来た時は木の記念碑でしたが、石の記念碑になっていました。お墓は一人一つで本人の写真があるものもあります。お花は売っていましたがとても豪華な色が多く、その中に、三種類の菊があったので買い、一人一人のお墓参りをしました。

8月11日夜、シベリア抑留者であった田中さんの家に訪問

わたしはロシアの文化について、何も知らなかったと思いました。文化交流なんて言っていて恥ずかしい、穴があったら入りたい気持ちになりました。
シベリア抑留者であった日本人の田中さんに、極東美術館の牧場展を昨日、みて頂きました。〔どんな凄い大男かと思ったらあなたが作家か、びっくりした〕と感想を述べてくれた田中猛さんの家へ訪問。ニュースやテレビでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、今は日本語教師をしながら音楽でも深くロシアの人とつながっている方でした。
田中さんはわたしに、様々なことを教えてくれました。音楽は心と心をつなぐ、言葉でなく心で。田中さんの音楽をききながらそう感じました。話して頂いたことをメモ的に、田中さんの言葉です。
〔人はものをつくる。本能でつくる。つくるための道具が媒介となって人と人はつながる。シベリア抑留から、何にもない中で木を彫ったり、何かつくるしかなかった。ゼロからセオリーなくつくるしかなかった。〕
その精神が、その人が放つものだからこそ心に響くのが音楽、美術…怖くなりつつ…
〔ロシアの文化を学び、ロシアの文化を尊敬することだ。ロシアの音楽は大地から滲み出ている。とてもかなわない。〕
何を語るかではなく、何をしたか…
何を語る絵ではなく、何をしたか…
大切な事を忙しさにかまけ忘れていた、いや考えてこなかった事をとても反省しました。


8月12日朝、極東美術館へ大きな紙を追加

極東美術館へ大きな紙を持ち込みに行きました。すると会場入口の大きなモニターにテレビの録画が流されていました。只今開催中、と好意的に報道して頂いていました。インタビューや絵を持ち込み、描く様子が流されていました。そしてその大きな絵をみんなで描いている映像をみたロシアの長い三ヶ月の夏休み真っ最中の子どもたちが、「私も僕も描きたい!」と父も母も家族で美術館に訪れ、美術館の牧場展はずっと賑わっていてるとのお話でびっくりしました。極東美術館は〔誰でも自由に描いてください、テーマは友好の窓です〕と書いて画材を用意し、床には大きな絵が置いてあります。新しい紙を追加し、持ってこないと紙が足りない。描きたい子どもが後を絶たないというのでした。朝からそんな子どもと一緒に絵を描きました。友好の窓の絵にも描いて欲しいと要望があったようなので描きました。子どもたちと一緒に描きました。
展示は、(福島をしのぶ)そんなサブタイトルです。美術館の展示説明はこちらです。
http://www.dvnovosti.ru/khab/2017/08/10/70289/

8月12日昼夕、オルゴさんのダーチャ 子どもたちと似顔絵交流

昨日の夕方はオルゴさんのダーチャへ。別荘的なロシアの人が週末を過ごす田舎へ行きました。
子どもは走り回り、絵を描いていると自分の絵を描いてと並びます。
大人のお茶会で牧場展のテレビを携帯で見せると、良くわかるとオルゴは言いました。「チェルノブイリの事故で、事故直後、チェルノブイリの人々には、誰も事実を教えてくれなかった。しばらくして、一年後、キエフの汚染された食べ物が安く入ってきて、危険と知らされなかったからみんな食べた。たくさん入ってきて、ハバロフスクの人はそれをたくさん食べた。」身体は大丈夫でしたか?土地はこちらは除染しましたか?と聞くと、土地は大丈夫。身体?全然大丈夫との事でした。

8月12日昼夕、
先日の田中さんとオーリャのダーチャへ 

今日はスイカを買いに行ったイーゴリと先日の田中さんが偶然に会い、一緒にオーリャのダーチャへ。田中さんに会ってまもなく似顔絵を差し上げると、本当に?と驚かれました。絵を自己流で学んでいるから、どうやって描くか教えて欲しいと言われました。点線面の話、調和と料理の話をし、道具を説明しながら絵を描いて差し上げると、発見したことがすごい、絵も素晴らしいと喜ばれ、音楽も美術も料理も小説もみんな同じだ、と二人で話しました。なんだか心が一つになったようでした。
田中さんは、ロシアの人は、自然と共生しなくては生きられならないことを喜んでいると。家は全て個性的で美しくみんな自分で工夫してつくる。自然との付き合い方が上手だと。寒い寒い地方だから、そうしなくては生きていけない、死んでしまう。そして人はとても優しい。日本人は上から目線で効率を言うけれど、不便と思えることを実は楽しみ、実は人間らしい事だと。
ロシアの人々の文化を尊敬する…そういう事かと、描きながら、ダーチャがもっと大好きになりました。
田中さんは、「家は、車とか機械と違う。家は、子どもの人格を育てるいれもの。家は道具。人と対話している道具」だと言っていました。そこに対話があると言い、他にも沢山の事を教えて頂きました。
今回の話を最後に相談すると、次に極東美術館でやる時は相談しなさいと、なんとかなるからと言って頂きました。
明日は最後の夜だから、報告は出来ないかもしれません。深夜まで会があります。今から涙が出ている夜です。田中猛さんは、ロシアの人も日本の人も家族さえ、みんな、なぜそんな辛い経験をした国にわざわざ行くのかとみんなに言われる。が、その精神性の深さに惹かれた。「理想の都市をいかにもとめるか」と見出しに新聞に書いた記者もいた。
ダーチャでロシアのみんなとロシアの歌を歌い、日本語でも歌い、そこにいる全員が一つになったような後「これ。これが、僕の足を20年以上、ひきとめる理由かもしれない。」と言いました。
別れの時、若くていいなあ。またぜひ、会いましょう!ダスビダーニャ!と強くハグをしました。

8月13日昼夕、インゴさんとそのご夫婦の家へ、絵で交流

今日は画家、インゴさんとそのご夫婦の家へ。お互いに絵を描きあい、作品を見あい人も見あいながら、刺激を受けながら描きました。「インゴさんの描くビリョーザに感動しました」と、写真では分かりにくいのでしが、「木と共に生きている生活からフォルムが身体に生きているから時を含めた表現になるのを感じました。インガさんのビリョーザの視点を取り入れた作品をえがきました」とたどたどしく伝えてから絵を見せながら伝えると、「おー、わかる」ダー、ダーと。簡単な言葉しかわからないけど、描かせて欲しい、自分の思いや絵の変化を絵によって語らせて欲しいと積極的にならないと、今のふれあえる大切な時間が過ぎてしまう。見せ合いたどたどしさが笑いになるような楽しい絵描き見合いでした。


8月14日夕、作品の搬出

作品の搬出へ。美術館の画家で職員である、展示の手伝いをしてくれたサーシャとご挨拶しました。そして友好の窓山のうちわを差し上げました。
サーシャも田中さんと似た事を言いました。お礼を言うと「人は何を語るかではない。何をしたかだ」と。目を見ながら二人でそこにいました。「もう一度必ずハバロフスクに来なさい。」と言ってもらえて、必ず来ますとお話をしました。2年前の出会いとはまた違う関係になった事を感じました。
そして担当学芸員、リューダさんと挨拶。友好のうちわを館長さんとあわせて2枚を渡しました。絵を極東美術館に一枚、欲しい旨言われたので寄贈しました。4枚目の、美術館に所蔵された絵でした。
リューダはオープニングの後に、〔とても大切な展示だった。福島の事をロシアで展示することはとても大切である。ハバロフスク地方から国の大きな大会の時に、良い美術展を選ぶ1つにするかもしれないと思っている。期待する。〕そう日本語の通訳の方は私に伝えました。〔咄嗟に大きな絵をみんなで描くという事をしたことが良かった、そういう試みも美術館としては初めての経験だ。ハバロフスクの人々は受け入れた〕と…。

8月15日 ハバロフスクからの別れ

日本に帰らなくてはならない日。寂しくて仕方ないです。ロシアの子になりたい…そんな甘い事を思いながら空港へ。
イーゴリは、コムソモリスクの画家であり、ギャラリーメタモルフォーゼのオルガさんの夫。今回も、私を車で様々な画家の場所や自然に連れていってくれた画家でありながら3個も仕事をかけもちをし、自分の極東美術館での2回目の個展もさておいて、私の展示を優先して手伝ってくれました。
シベリア抑留者であった宮本先生がつないでくれ、辻堂のギャラリーキテーネで10年前に出会い江ノ島で一緒に描き、意気投合し、2年に一回ずっと展示をし…でもこんなに長くロシアで一緒に過ごせた事は今までなかったのです。今回はアムール川で描きあい、アムールとイーゴリ、アムールと若菜と描きっこし、線はイーゴリ塗りは私をして遊んだり、ダーチャで描きっこし、この旅中ずっと描いてきた。「ミャーオ」「ムニャムニャ」とよく私に言います。ニャーみたいな猫を表現する軽口だそうです。
飛行機からの別れの時、昨日一緒に絵を描いたインガまで、コムソモリスクのギャラリーのみんなや仕事を抜け出したオーリャが空港に見送りに来てくれて抱きしめあいました。オルガのお孫さんはいつもムスっとしてるけど、空港で泣いているからあれ、と思っていたら、「友達が帰ってしまうのは寂しい。悲しい」と私との別れを泣いているのでした。空港内では、極東美術館のオープニングで一緒に描いたアナスタシアに偶然会い、一緒にお話をしながら涙が乾く間もなく帰りました。これからみんなはコムソモリスクへ、私より長い時間をかけ、車で8時間をかけて帰ります。
写真は私の姿が見えなくなるまで見送り、手を振り続けてくれるロシアのみんなの姿でした。
〔飛行機で泣いています 悲しい寂しい。でも、また会いましょう!Я плачу на самолете. Сад одинокий. Но давайте встретимся снова!〕とメールをすると、〔Конечно. Вакана - наша семья. Мы всегда ждем встречи с тобой. Береги себя!もちろん。若菜は私たちの家族です。私たちはいつもあなたに会うのを楽しみにしています。身体を大切にしてください〕と返事がありました。
私は今回、言葉にならない程たくさんの人に支えられ、個展の、友好の機会を与えて頂き、凝縮した日々を過ごせました。ロシアのみんなが田中猛さんとの出会いを与えてくれ、文化や風習を学び尊敬する心に気がつきました。皆さまに心より感謝します!さよならロシアの生活。こんにちは新しい日本の私、でした。



絵の反省

ロシアの方と一緒の意識を持って相手をみて、相手と私のつながりのコンセプトを変えていけなかった。絵もそうだった。誰にみてもらうのか?誰に展示するのか?どこでやるのか?郵便事情はどうなのか?私は本当に、私の文化交流はこれからなのだと感じています。実はずっと、交流させてもらえて嬉しい感謝の気持ちと、自分の想像していた展示との違いのギャップのはざまで、悔しくて悲しいのとが入り混じる微妙な感情です。極東美術館での展示は、はじまりの日と同じく台風のようでした。「コンセプトがかわったら、方法論も変えなければならない。」次は私を頼りなさいと田中さんは言いました。終わってみて思い出すのは、田中さんの言葉。「相手を変えようとしても根本が違う。ロシアに来たらロシアの良いとこ悪いとこ、すべてあるのが見えてくる。人間も5種類に分けられると考えているんだ。善良な人、頭の良い人からバカな人、バカなふりをする人から悪人まで、ロシアの人はこうだという絶対はない。コンセプトが変わったら、方法論も変えなければならない。自分が変わらなければならない。自分の心が覚える…自分を変える必要がある。」これから、どんどん、新作を描こうと思っています。


決意と気づき

ロシアから帰り、絵を描いています。木の手造りの家。牧場。牛小屋。馬小屋。みんな道具でその手でつくって、その土地に暮らし、家をその手で工夫してつくり上げていた。私のテーマである牧場、その主や動物たちも、土と共に人のつくった道具の中に生き、自然と一体になりながら生かされている。そんな人の営みがある風景は美しい。事故の証拠の動物として生かされている事を残したいという気持ちも伴うけれど、自然と共存、共に生きる姿は美しい。対峙するのではなく共生している風景を。よぎるのは、今回見てきた、いつも隣にあったアムール川の流れ。この流れが自然の恵みを与え、魚の命を頂いて感謝しながら生きるハバロフスクの人々。チェルノブイリは遠いけれど、1年後にキエフなどから入ってきた安い農産物をたくさん食べ、それを知らされなかった多くの人が内部被曝した。「あなたの絵は、心の絵」とオルガは言ってくれ、今回様々なアーティストと会わせてくれた。コムソモリスク、メタモルフォーゼのオーナー、オルガさん。すべてこの方のおかげです。オルガさんが言ってくれたそんな絵を描きたい。そんな世界みんなのうねりがそこにあるような、牧場に流れ込むような生きている絵を描きたいです。IMG_1963.PNGIMG_2508.JPGIMG_2483.JPGIMG_2267.JPGIMG_2330.JPGIMG_2168.JPGIMG_1960.PNG
posted by 若菜 at 10:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

ロシアの個展報告はフェイスブックへ移動のお知らせ

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すみません。ブログがロシアだと遅くて無理そうです。フェイスブックにて山内若菜にて報告しています。よろしくお願いします。

内容だけ紹介します。



極東美術館で同じく展示する予定だという版画家、同じ年のミーシャのアトリエに訪問、牧場展を見て大好きだと言ってくれたミーシャに出会いました。


ミーシャのアトリエはハバロフスクの芸術家の集い場みたい。たくさん若い芸術家がいました。


最初、アナスタシアの絵日誌に絵を二人で描きあい、その後、版画を一緒に制作。〔友情 ルボフ〕愛に近い友情と二人で話し合いました。それをミーシャが刷ります。銅版画の彫らない即興タイプでした。共同制作に夢中。アナスタシアが夜遅く美容師だから先に帰る時、抱き合い、ルボフ〜と言うと笑うので言い合いました。


版画家の彼の作品を見たとたん好きになり、2時間以上二人で画材や描き合う事に夢中になりました。ロシアでは版画は売れない。生活はできないからポスターデザインのパソコン業で働き、奥さんの父の銅版画機械を継ぎましたが食べていけない、ソ連の頃は作家のアトリエはただ無料だったと。でも言語統制は楽になった?と聞くと〔そうだけど、お金は辛いよ〕境遇が似ているのに、絵について話したり絵の描き方、考えややってみるやり方が違う面白さがありました。ロシアでは水彩色鉛筆が画材屋でガラス張りの中に入っていて高価。手に入らないみたいで、彼にあげました。彼は水に直接つけて使いました!刺激を受け、私も真似しました。


陶磁器の作家の女性は作品をプレゼントしてくれました。



ミーシャは私を描いた作品の絵とTシャツをパダーラクにくれました。私は絵と水彩色鉛筆や和紙をプレゼント。


大きな版画をやってみたい!

なんて思いました。黒い色もとても深く、濃い。魅せられました。


〔本日、ロシアと日本の長い美術の歴史を身で感じました。ドキドキ刺激的、また一緒に描きあいましょう〕と伝えると〔私は広告の仕事で今回忙しすぎ、社会は厳しい。が二人の絵は似てる、絵、楽しかった〕と返してくれ、友情ハグをしました。すみません夜中に電池がなくなりました。



posted by 若菜 at 07:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする