2015年09月27日

世界が私だった世界、分離な今

ラスコーの壁画の時代は、旧石器時代、縄張りの境界線近くでは、人が人を食べちゃったらしい。
あえて殺しはしないけど、遭遇し縄張り争いになれば殺す。時には人は、人をえさにしたと。
あえて殺しあうようになるのは弥生時代。ヤジリが大きくなる。
でも野牛と自分は、神と人は一体で一個で、分離されてはいなかった。それは絵で言えばすばらしい世界だと思う。
世界が私だった世界。ポツポツちぎれた存在ではなく大きな円になっているその輝き。今の、人が分離させられた矛盾だらけの自分が自分でない無力感より一見、ずっとすばらしい感じ。
生身の人間なのに一道具となることの喪失感。何にも悪い事してないのに牛は殺処分を命じられ。とにかく福島に帰ってきなさいと言われ。甲状腺ガンも自己責任、まともな仕事が簡単ではなく自由がなく差別に満ち生きがいがない、愛もお金しだいなことも往々にしてありのこの分離された矛盾に満ちて。
よほど強くないとなんらかの精神病になってしまいそうなまともじゃなさの中、牛と人との共存のある日常。生かすことを続けている牧場。
都市へ送っていた電力たくさんの鉄塔の牧場、今は分離されていて、お金も寄付とわずかな補償、そこでやっていくことの厳しさ、市場との分断を余儀なくされた厳しさを思う。
絵は、たくさんの矛盾の象徴がアリのように毎日増えていく。最後の絵は、上下を逆さにしてずっと描いている。今、逆さの一部でした。上からの重さ、天からのを崇め象徴すべき世界の逆さ円を作りたい。その話を感動し、画面に取り入れたい、食い込ませたいと思ったから。
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posted by 若菜 at 06:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする