2015年09月13日

こわすことはつくること。

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「こわすことはつくること」
否定しながら出てきたものがつくることだとしすれば、こわすことは、つくることではないかしら。

そして、途中のこの牧場の絵に
「精神的なものでムンムンしている」と思いたい。
自己意識を見せられても疲れるだけ、と自分がなくなる境地を知れ、玉堂とかわかんないでしょう?と私の絵を嫌う絵描きさんもいたけど、未熟な私は、まず絵には私がなければダメだと思う。マークテストか2歳児か、こわしても出てきたものをひっぱたいて、こすって削ってやってきて、でてきたものに自分の体液の跡や息吹をつけて。そこには嫌われる自己意識だけでなく、お金による人間的に変わる自然、社会としての牧場、牛、牧場主という対象を把握し描くということを通じて、私、牧場という自然、社会に働きかけたい、どうにかして、という思いがある。
この行為は実は自然賛歌ではないかしら。
何より、私の絵を。私の絵じゃなかったら、意味がない。

今日は、激しく、ムンムンなるままに絵ぐらしでした。


posted by 若菜 at 22:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絵は生きている。空間の中の空間。


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「絵は生きている」絵は生き物。
猿にも人が顔を覆うにも見えてきた一部。
絵を見てるといろいろ見えてくる。
私は牧場を、牛を描いているけど、そこには人間にも猿にも狸も出てきた。
見えないかもしれない。見えるかもしれない。

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岩みたいな土の中のような、自然を思わせる洞窟みたいに。この中を自由に漂える「空間の中の空間」にしたい。
入れるかもしれない。
入らないかもしれない。

posted by 若菜 at 06:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする