2015年09月11日

ふんばる生き物

image-2ab22.jpg
頑張れ、と言いたくなるような犬かのような 痩せた、ふんばる生き物を描きたい。
行った時より、希望の牧場の牛は痩せてきている。

posted by 若菜 at 23:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一本の棘たちが守るの実

栗。どげどげの中に、美しいつるつるの実。ふと、一本の棘が無数の棘が憲法の身をみんなで護っているかのような栗の実を思う。隙間なくみんなで守る姿、トゲ一本にその素晴らしさを見る。

栗の木も柿の木も、誰もいない福島の村では落ちているだけだった。
自然のおいしさに感動することも出来ない村にされていた。

というのは、本日あいまに栗を採りに行った。竹のぼうをつかって落とす。実の重さでぼっとりと落ちて、ナイフと靴でエイと割る。
頭に落ちてとげとげが頭にささる。栗を拾って足でむきながら栗の実を取り出すと、つるぴかで美しい。とげが手にささる。イタイ。
猿の道具の石みたいに、今回は長い棒をつなぐ紐とナイフが必需。
コアラは以前はいろんな食物を食べていたが、ユーカリばっかり食べていたら脳が退化して複雑な動きもできなくなってしまった説があった。精米された米、小麦、白い砂糖が、必要かな?身体に聞いてみる。絵の具をさらに足す事がそんなに必要かな?削ることも大切かと。剥いて剥いだなかにあるのを探すように、中に白を仕込む事、剥いだあとのキラキラした実を意識した。

とげとげな表現。
感覚って、自然の中を浴びて原始人になってちょっと取り戻されるのかもしれない。
パソコンや機械に囲まれている中だと、生流が滞ってしまう。栗だ。
image-98c20.jpg
posted by 若菜 at 20:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

四季の中 頭の中を歩く牛

四季がある。牧場には寒いも暑いもある。豪雨もある。
私は密着取材したわけではないけれど、見て感じて匂いをかいで、そこから人から、主の発言からも想像する。また、そこに四季があって、流れがあって、を思う。
でも、また牧場に行こうと決めた。
でも人が見てきたものも見えたように、私が表現する。一人でそれが出来てしまえる喜びにたまにあふれる。
ひとりよがる人。

ずっと福島に住んでいて、自分が牧場主になったのを想像して乗り移ることを考える。おこがましくもそれでよいのではないでしょうか。
私は他人になれる。死んだ人を生かす。死んだ牛を生き返らせるようなことをやっているのだから、そこにはルポだけでなく、理想があっていいと思う。すべてがあっていい、選択してゆくのも自由。だから自分にとって本当でなくてはダメ。自分に嘘ついていてはダメ。

本当なんだろうか。いきなりビクッとする。
画面の真実、絵の真理をポワンと考えてみる。
はたして目の前のこれは、自分にとって嘘のない画面なんだろうか。
image-b90e2.jpg
posted by 若菜 at 08:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする