2015年09月03日

濁っている透明な


「死骸を見ても何も感じなくなった」「自分の実力不足を認めたくないだけなのかもしれない」と希望の牧場の牧場主の吉沢さんは言い、「被爆した牛は、原発事故の生きた証しだ」と、今日届いたベコ新聞に書いてあった。また、そこにはお金が、牛一頭餌代だけで1日三万はかかるという記事。
綺麗な話ではすまない。
福島の牧場で、何百頭と変死か餓死かで死んでいった牛が、建物裏に骨がつみあがっていく死骸が、綺麗なわけがない。そんな牧場を見てきて、今描いている。
おどろおどろするだろう。それが本当だろう。

牛が出てきて、馬が出てきて、消して出現させて、このやりとりをしていると美しさを画面にみてしまうけど、そうじゃない。実際は、どろっとしていて生きる者のすぐ先に死があって、圧倒された。自分が無力なのを感じる場所だった。

死んだ牛の穴の開いた目から牧場を見る。土の中から空を見る。強者に無惨に殺された無力な私、ゴロッと死んでる。
昨晩「怒白」「牧場空気」を描く。大きいのも進めていく。

いくけどでもこれらは、本当なのだろうか。
これらは、意味があるのだろうか。
わからない。そうなのだけれど私は、この絵で学生時代、アトリエでずっとこもって描いていたような執着を取り戻している。毎日1日、絵の事を考えている。



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posted by 若菜 at 07:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする