2015年09月26日

画面構成の変化、蛍の光窓の雨

画面は変化あり。脳の中の矛盾だらけの混沌かと言っていたのがだんだん形が出てきて、時に熱く燃え上がる目が覚めるを行ったり来たりしながらも、やりたいことが見えていた。思っていたものが形を変化させながら出没した。
画面の構成は、起承転結の承転上部は薄塗りで下地を抜かしながらかなり向こうへ行きやすくする。
下部は荒々しく、導入しやすく。ベタな方法ですが。上の下地を残しながら、抜きを意識して一番時間をかけて描きこむというのは、今までなかった。起結、はかなり自由に抜く要素が強い。結は右上がりに向こうへ激しく。複雑に絡み合いながら、動きは単純にベタな画面の基礎的な動きで締める。
素材はおがくずや紅茶のくずや、コーヒーの粉をボンドで固めたりして工夫して、土感を出す、流れ地層を意識しながら素材とのやりとり、選び見て感じる、吟味する。考えること言葉を書くこと含め、描く事で自分が表現したいものをどんどん出していく。混沌の場所との差も意識して残しているけれど、私は大体の足跡を決めたら、モジモジ好きな作業をするモジくんになるのも好き。画面にたかるイモ虫か、カタツムリが這うようにこの醜くい身体で伝えたいものを憧れになりたいから出して。形が出てきても最近消してない。隈取りするな、説明するな、世界の水槽の中を自覚しろとは、そら耳かしら。いいの出したいのと今は、はねる。後で全体を見ながらやればいい。ただそう、海辺の貝殻が濡れたままの艶が、強さは欲しい。朝の光に負けてしまっている。ここが洞窟なら。
いや。またですが違う。人は人を食べないし、この悔しさを、人の命の軽さを思う人に対しては重さを大きさを絵を、発表できる今が、会場がやっぱりいい。そう。そうとかみしめていく。そして昨日はYさんが夜でも作業できるように電池式ライトをプレゼントしてくれました。嬉しい・・蛍の光、窓の雨。
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posted by 若菜 at 06:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月25日

お金で血ぬられた今立つ生き物を


ラスコーの壁画は、単なる獲物の大量を願うというより、絵を描く事でそれを、牛を崇拝していたという見方がある。
人は狩をする万物の霊長ではなく、野牛が神だったと。そのように崇めていた。
牛や鹿や、その他の動物の持つ力、生命力に何らかの意味で敬意を表し、それらの偉大な動物の力などが、部族に助力することを願って描いた。
その高次存在である牛に、力、生命力の分与・幸福の分与、神である野牛自身が肉や毛皮を分けてくれることを祈願をした。
日常と聖、二分では壁画は聖であり、洞窟の深奥に描いて、日常を近づけないようにしていた。
言語や文字のない時代、15000年前の旧石器時代のクロマニョン人の絵。壁画。動物の脂、炭、血などをこねこねして指や獣の毛で描いた壁画。私は前の絵には意識して自分の血を入れてみた。ナアム。

が、私は昔は素晴らしかった、人間の原点はこれだ、と言いたいわけではない。今の現代の世界の血にぬられた世界、でもこちらの進歩した社会の希望のほうが素晴らしい、と私は描きたい。福島の多数いる牛、見てきた牧場、負けるかとふんばる牧場の絵を残したい。生命力ハイ、頂きたいです、同じ。筆で描き出しました。マネか。柔らかい生命タッチ、学びました。ハイ。でも福島の牛は本来の牛のような、ラスコーの壁画のような、あんな生命力はなかった。痩せて立ち、えさ不足からか、のろのろ無気力でダラーンとしていた。寝てる。覇気がない。汚れ、毛はパサパサだった。その中で多数の牛は、三百の群衆牛は、ふんばっていた。柵があり、囲い込み、牛舎がある。向こうには送電線が異様な数でのびている。そんな、私が見てるものは原発事故の直後の今の福島の牛の生命が集まる牧場だ。浪江町の牛、飯館村の馬。古代の壁画的要素を意識してしまった、と思ったけど。昔万歳がよぎるから。でも違い、私の壁画でなければならない。生命感は今のでなくてはならない。

「女はモノマネが得意だからな」という人もいた。「女は中身がない絵が多い。表面だけをなでる絵が多い。色彩だけとか、抽象に浸る。主婦が趣味は絵よ、なんて感覚で絵を描かれちゃ困るんだ。それくらい今は誰もが描ける。昔は男しか描けなかったのに」とブツブツ言う画家さんもいた。男の方でした。
でも本当なのは、日本人の女が絵を描く、発表するなんて、戦後からに違いない。そして先生のままの絵もよく見る。
だからこそ、精神とともに、取り入れていこう。ハクモレキモナイオンナノガカ。なんにもないからなんでもできる。ドリョクノガカ。サイノウハシラナイ。なにしろ、今の、現代の壁画でなくてはならない。image-848c8.jpg(・・;)image-e2930.jpg
posted by 若菜 at 07:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月24日

パリ・コミューンの今

自分が作った実感がある絵と違って、社会は機械を使って量産できる。たくさん売りたくて、お金もうけをしていく流れ。
お金お金で人間をたくさん搾取、もうかっている、もうけたい一部の大企業や財閥などは過剰なまでにお金を際限なく膨らます。独裁を支持する。お金もうけに有利だから。つい数十年前、戦前は選挙権もなかった女性。絵なんて描いたって何やってんだバシとかされたに違いない。

封建社会、農民は領主によって奴隷のように搾取させられ、余剰の米はすべて奪われていた。
それが15世紀以降、産業革命がおき、蒸気機関など工場生産がさかんになると、大量にものをつくれるようになり、封建制、荘園を解体し、広域な市場を求めるようになる。それまでの古い制度が邪魔になった。で、生産手段の所有者のもとで働く機械を動かす賃金労働者が必要となり、ブルジョアジー民主主義革命、自由平等博愛の三色を掲げて革命がおきた。でもそれはブルジョア的という限定がつく。お金の少ない人、女性は含まれていない。
そして19世紀半ば以降、資本家階級は、反動的に社会経済生活における平等と民主主義を弾圧する立場になる。不平等は固定化される。それどころではなくナチスなどのファシズム、独裁を公然と支持した。
パリ・コミューンの弾圧、1871年の出来事が象徴的。

歴史は繰り返す。
負の連鎖が切れるように、自分を叫ぶ事が大切だ。
本日は歴史の勉強と共にある絵でした。
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posted by 若菜 at 11:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする